京ことば源氏物語とは

 

 京ことば源氏物語は、京都在住の国文学者 中井和子先生が十五年の歳月をかけ源氏物語全五十四帖を現代京ことばに訳されたものです。大修館書店より出版(全五巻)

 京ことば源氏物語」は今から百年ほど前の京都の言葉で訳されています。
 現代からみると雲の上のような格調高い王朝絵巻ですが、京ことば源氏物語では一人の女房の視点から見た宮中の出来事のあれこれが  あたかもここで話しているように語られ、生き生きとした平安の世の人間模様が浮かび上がります。
 いにしえの心を受け継いだ京ことばで語ることによって、源氏物語を生んだ京都の風土が醸し出す「もののあわれ」の世界を感じて頂けることと思います。

 中井先生のもと源氏物語を学び、何気なく使っていた京ことば、ひいては日本語が、自然にとけあって人の心を映し出す和歌の表現様式の中で育まれてきたことを知り、微妙な色合いをかもしだす思いのかさねの奥深さを改めて味わう日々です。

 

女房語り

 

 現在では奥さんのことを女房といいますが、平安期には、宮中に仕える身分の高い女官を女房と呼びました。紫式部も上東門院(一条天皇中宮彰子)に仕える女房でした。
 京ことばは書き言葉ではなく話し言葉です。ですから原文を標準語化したときの地の文の朗読とはすこしニュアンスが違い、宮中に仕える女房が垣間見た出来事を問わず語りに語るという風情があるのです。

 

地域語(方言)としての京ことばと源氏物語

 

 京都の気候風土、その恵みなくして平安王朝文化の花が開き、そして源氏物語という果実がもたらされることはなかったでしょう。
  ことばと土地風土は密接な関わりを持っており、それはその土地に生きる人々の発想そのものであるといえます。
主語をあえて伏せた表現も京都ならでは。
 中井先生の源氏物語はそんな原文の気配を損なうことなく王朝の雅が表現されています。
 地域語での朗読に勢いのみられる昨今ですが、京ことばも失われつつあるその一つです。
 文字にすると慣れない言い回しがひらがなで続き解読しにくいこともあるのですが、京ことばの丁寧語や謙譲語、尊敬語などを少し知るだけで、その場の人物の 身分、立場を区別することができ、宮中に仕える女房の語るがごとくそれを声にすることによってより視点が定まり、京ことばという方言の持つ含み、見立て、 湿度、曲線、があいまって放つ気配で立体化された平安世界の広がりを味わっていただけるものと思います。
 そして非力ながらも京語りを通して生きたことばを後に伝えてゆくことに大きな意義と喜びを感じています。
 京ことば源氏物語は文学の域を超えて、いにしえに生きた人びとの息づきが感じられる新しい魅力を持っているのです。

 

うぶすなの言葉 

 

 私はだれ?何のために生まれてきたの?思春期に問うこの言葉

 生活の場を京都から東京に移して、やはり問い続けた言葉でした。今うぶすなのことばで語りかける源氏物語は私の存在の意味に関わる 活動です。熊野古道で三千年の杉や地球と同じ年齢の大磐に出逢って、自分のちっぽけなこと、命のはかなさに打ちのめされた気になって、次の瞬間、この杉よ りも遠い処から繋がっている命の先端にいることを強烈に実感しました。その時に、「京都」という産土が私を作っていることに気づいたのでした。花や木や野 菜が根を張る土に影響されるように人も生まれた土地の要素を身体の中にしっかりと持っているのだと。私はどこにいても、京都という土地に、私の先祖の命の もとに繋がっている、そう思えたとき私の孤独は消えて行きました。時と距離がなくなった瞬間でした。

 京都のことばは美しいだけでなく、今忘れられがちな、見えないものに響き合うことばです。遠回しに、意地悪に聞こえるその裏側に は、自分以外の物を思う やさしさがあるのだと思います。それは気配となってまとわれるものだから、直接的な表現で解り合う現代では不足といわれるかもし れません。解るということよりも分かち合うという分かる方法がコミュニケイションに必要なことではないかと思い始めました。

 耳と頭だけが直結する記号のようなやりとりではなく 五感六感を使って古人は命の営みを続けてきて今日があるのだと思います。土地 に残る言葉にはその知恵と思いやりが詰まっています。土地の言葉でなければ表現できない感覚が、今に残る豊かな表現の元になっているのだと思います。

 千年読み継がれた源氏物語。言葉に隠されたその宇宙は意志を持っているかのように人を魅了します。私のDNAが意志を持って私を 創ったように私は内包している種子から枝葉をのばし選び取り、また根に注ぎ込んでいるという気がしています。その根こそ、私を創ってくれた京都の土地に繋 がっているのです。ことばは危機に瀕しています。次の千年の為に今できること、それは人類の課題でもありますが、うぶすなの言葉を思い出し、繋げていくこ とも、日本という比類ないこの国にとって大切なことではないかと思うのです。